明治のお抱え医学者ベルツは滞日25年周年記念講演で以下のように述べている。
「日本人は西欧の学問の成り立ちにと本質について大いに誤解しているように思える。日本人は学問を、年間に一定量の仕事をこなし、簡単によそへ運んで稼動させることのできる機械の様に考えている。しかし、それはまちがいである。ヨーロッパの学問世界は機械ではなく、ひとつの有機体でありあらゆる有機体と同じく、花を咲かせるためには一定の気候、一定の風土を必要とするのだ。」「日本人は彼らを(お雇い外国人)を学問の果実の切り売り人として扱ったが、彼らは学問の樹を育てる庭師としての使命感に燃えていたのだ。・・・つまり、根本にある精神を究めるかわりに最新の成果さえ受け取れば十分と考えたわけである。」
また、以下のとおり日本の進歩的人種を鋭く批判している。
「不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。
『いや、なにもかもすべて野蛮でした。』、『われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです。』という日本人さえいる。
このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。
日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。
なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。」
ベルツは、無条件に西洋の文化を受け入れようとする日本人に対する手厳しく批判している。また、注目すべきは、外国人教師である彼が、日本固有の伝統文化の再評価をおこなうべきことを主張している点である。西洋科学の教師として日本にやって来たにもかかわらず、その優れた手法を押し付けるのではなく、あまりに性急にそのすべてを取り入れようとする日本人の姿勢を批判し、的確な助言をしている。
学問も文化もそれを生んだ国の文化そのものなのである。果実だけを摘みとることが可能であっても、その副作用が何であるかをそろそろしる時期に来ている。
引用:中外時評2007.1.6

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