June 22, 2008

第152話  放牧豚

平成19年2月に北海道から帰郷した氏本さんは、休耕水田に和牛を放牧する「山口型放牧」(18年度畜産大賞受賞)を参考に、加工して商品化しやすい豚の放牧を始めた。山口県農林総合技術センターで竹林の荒廃を防ぐため、豚を放牧して筍を食べさせることにより竹林を管理する実験をしたこともヒントになり、子豚を導入した。

棚田を電気牧柵で囲って子豚を放牧し、野草、摘果した枇杷や芋くずなどを給与し、除草が終われば順次放牧地を移動していく方式を採用した。豚のふん尿は堆肥として化学肥料なしの有機農業に役立てる。この豚の放牧によって、荒廃地は農地として利用できるようになり、サツマイモなどの栽培が可能となった。小規模ながらも循環型農業の実践である。秋に出荷ができるようになった放牧豚は欧州で幾度も金賞を受賞している安田功さん(下松市)に委託してハム・ソーセージなどに加工し、試験販売を行った。

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第151話  祝島自治会生態系保全規則

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 祝島は古来、離島特有の閉鎖的自然生態系が保たれており、農作物に被害を及ぼすタヌキ、イノシシ、サルなどの野生鳥獣がいない。また、外来植物の侵入も本州ほどではない。このため、露地でも無農薬農業が容易である。

 この3月、祝島自治会では生態系保全規則を制定した。この規則は、①島外からの無秩序な動植物の持込みの禁止とその事前協議、②この協議にあたっては学識経験者を含む生態系保全委員会での検討③持込み後の自治会による立入調査などを内容としており、全国初の試みである。昨年11月、氏本さんたちは祝島を船に見立て島民全員が乗組員として一丸となる「祝島未来航海プロジェクト」を立案した。

その目的地は一流の離島・祝島丸である。生態系保全規則の制定は、このプロジェクトの一環であるが、島民が精神的、経済的に自立した生活を営むためには一次産業の再生に努めることが重要である。今回の規則制定は自然の生態系は自分たちの手で守るという意思を内外に向けて決意表明をしたという意義がある。早期に退職して、故郷に戻った氏本さんは、2年もたたないうちに地域活性化の仕掛けの中心的役割を果たしつつあるように思える。北海道時代にも優る活躍を離島農業復活の先駆的役割において期待したい。

画像;氏本さんの放牧豚の料理

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第150話 離島での循環型農業

山口県祝島の氏本さんは、宗谷岬黒牛牧場を早期退職して、故郷に戻った。現在、放牧豚を育てながら、生計を立てている。祝島は瀬戸内海の離島である。

離島においても、戦後しばらくは使役家畜からのふん尿を堆肥とすることにより、循環型農業が自然と営まれていたが、高度経済成長に伴って農業の近代化が始まり、化学肥料に依存するようになったため、離島農業の特質である自給堆肥による循環型農業が変質してしまったと、氏本さんは指摘する。本州の効率的農業との競合において、離島の有利性はありえない。彼は、①島外からの化学肥料などの購入資材の節約、②購入食材の節約と自家用も兼ねた食材の生産、③離島の特性に合った有畜農業を離島農業の復活のシナリオとして考えている。

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April 11, 2008

第149話  水仙

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わが家の家庭菜園の水仙です。
水仙は東斜面の朝日を好みます。
(鋸南町のあばあちゃんから聞きました。)

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第148話  農作業

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このところ雨続きで作業はできないが、野菜の育ちがよい。レタスを実家の爺様に送ることにした。わが家のレタスが好きになったようだ。
念入りに土づくりをしたので、味が市販のものより良いのである。
とうもろこしの甘い新品種がでているが、鮮度が違うと味もちがうのである。


画像は昨夏のトマトの雨よけ栽培ととうもろこし

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第147話 国内自給率

今年は農家の受粉作業も遅れたそうである。東北のリンゴ、なしの受粉用の花粉は中国から輸入していたのであるが、ギョーザ事件でストップしたいたが、ようやく解禁されたそうである。それぞれの品目の輸入団体(生産団体でもある)が訪中して輸入の再開を要請しているのであるが、政府は動いていないようである。国産の自給といっても海外に依存していることが実態である。

画像は昨夏のスイカの受粉作業と小玉スイカ
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April 02, 2007

第146話 植物と水

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産陽商事の生野安朗さんは環境改善と水浄化に人生を生きてきた。植物通信の三上先生との縁で植物との対話の中で水の浄化の方法を開発した。アリエナイことが起こるのでアリエルと名付けた方法は花崗岩のエネルギーである。

産陽商事;http://www.smokefree.co.jp/#mizu

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April 01, 2007

第145話 永田農法

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永田農法で知られている永田照喜治氏のトークショーを聞いた。18年前、高島炭坑跡で栽培しているファーストトマトを1箱頂いて食したことがあるが、その時の衝撃は忘れられない。糖度は12度はあったろうか。木村秋則さんとまた違った意味で野の人であろう。

その農法は、限界農法である。
ジャガイモ、トマト、ホウレンソウなどの多くの野菜はもともと高原原産であるので高温多湿である日本の気候には本来向かない。そのため、基本的にはビニールハウス内でマルチシートを張って雨風を避け、石交じりの土で作物を乾燥気味に栽培する。肥料および水は、必要最低限の液肥を、葉がしおれた頃合を見て与えるのみである。

作物を常に飢餓状態に追い込むことによって、植物が本来持っている力を最大限に引き出すのが狙いである。その結果、できた作物は通常販売されている野菜よりもはるかに多くの栄養を持つこと、そして野菜特有のアクが少なくなる。

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January 08, 2007

第144話  果実をむさぼる前に

明治のお抱え医学者ベルツは滞日25年周年記念講演で以下のように述べている。

「日本人は西欧の学問の成り立ちにと本質について大いに誤解しているように思える。日本人は学問を、年間に一定量の仕事をこなし、簡単によそへ運んで稼動させることのできる機械の様に考えている。しかし、それはまちがいである。ヨーロッパの学問世界は機械ではなく、ひとつの有機体でありあらゆる有機体と同じく、花を咲かせるためには一定の気候、一定の風土を必要とするのだ。」「日本人は彼らを(お雇い外国人)を学問の果実の切り売り人として扱ったが、彼らは学問の樹を育てる庭師としての使命感に燃えていたのだ。・・・つまり、根本にある精神を究めるかわりに最新の成果さえ受け取れば十分と考えたわけである。」

また、以下のとおり日本の進歩的人種を鋭く批判している。

「不思議なことに、今の日本人は自分自身の過去についてはなにも知りたくないのだ。それどころか、教養人たちはそれを恥じてさえいる。

『いや、なにもかもすべて野蛮でした。』、『われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです。』という日本人さえいる。

このような現象は急激な変化に対する反動から来ることはわかるが、大変不快なものである。

日本人たちがこのように自国固有の文化を軽視すれば、かえって外国人の信頼を得ることにはならない。

なにより、今の日本に必要なのはまず日本文化の所産のすべての貴重なものを検討し、これを現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと慎重に適応させることなのだ。」

 ベルツは、無条件に西洋の文化を受け入れようとする日本人に対する手厳しく批判している。また、注目すべきは、外国人教師である彼が、日本固有の伝統文化の再評価をおこなうべきことを主張している点である。西洋科学の教師として日本にやって来たにもかかわらず、その優れた手法を押し付けるのではなく、あまりに性急にそのすべてを取り入れようとする日本人の姿勢を批判し、的確な助言をしている。

学問も文化もそれを生んだ国の文化そのものなのである。果実だけを摘みとることが可能であっても、その副作用が何であるかをそろそろしる時期に来ている。

引用:中外時評2007.1.6


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第143話 答えは常に我の中に

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憧れの人をみつめるうちに眠れる才能が目覚めることがあるという。往年の名打者豊田泰光氏は、以下のように述べている。

「よく先輩から盗めというけれど、これは正確ではない。学習とは他人から何かを奪うのではなく、自分の家を探すことなのだ。答えは常に我の中にある。それが自己啓発だろう。(略)
あこがれの人の技にならった時は失敗だった。しかし、あれもいい経験であった。

感性の窓から取り入れた光で自己の中を照らしてみればもつものと持たないものがはっきりしてくる。

答えは教えられる選手の中にあるという原則を忘れて、技術を押しつけても身につくものではない。詰め込むのではなく、引き出す。それが教えるということの基本ではないか。

「チェンジアップ」日経(2006.12.28)

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